11800円 【ふるさと納税】■ブランド有田みかん【S】秀品10kg/産地直送/薄皮で甘い美味しい和歌山県産/紀伊国屋文左衛門本舗(お届け日指定不可) 食品 フルーツ・果物 みかん ふるさと納税 ■ブランド有田みかん S 秀品10kg 紀伊国屋文左衛門本舗 産地直送 お届け日指定不可 お気に入 薄皮で甘い美味しい和歌山県産 11800円,/hypural1914501.html,食品 , フルーツ・果物 , みかん,【ふるさと納税】■ブランド有田みかん【S】秀品10kg/産地直送/薄皮で甘い美味しい和歌山県産/紀伊国屋文左衛門本舗(お届け日指定不可),uragasuido.opal.ne.jp ふるさと納税 ■ブランド有田みかん S 秀品10kg 紀伊国屋文左衛門本舗 産地直送 お届け日指定不可 お気に入 薄皮で甘い美味しい和歌山県産 11800円 【ふるさと納税】■ブランド有田みかん【S】秀品10kg/産地直送/薄皮で甘い美味しい和歌山県産/紀伊国屋文左衛門本舗(お届け日指定不可) 食品 フルーツ・果物 みかん 11800円,/hypural1914501.html,食品 , フルーツ・果物 , みかん,【ふるさと納税】■ブランド有田みかん【S】秀品10kg/産地直送/薄皮で甘い美味しい和歌山県産/紀伊国屋文左衛門本舗(お届け日指定不可),uragasuido.opal.ne.jp

ふるさと納税 ■ブランド有田みかん S 秀品10kg 紀伊国屋文左衛門本舗 送料無料 産地直送 お届け日指定不可 お気に入 薄皮で甘い美味しい和歌山県産

【ふるさと納税】■ブランド有田みかん【S】秀品10kg/産地直送/薄皮で甘い美味しい和歌山県産/紀伊国屋文左衛門本舗(お届け日指定不可)

11800円

【ふるさと納税】■ブランド有田みかん【S】秀品10kg/産地直送/薄皮で甘い美味しい和歌山県産/紀伊国屋文左衛門本舗(お届け日指定不可)






温州みかんの生産量日本一を誇る和歌山県。
有数のブランドみかんとして有名な果実有田みかん(ありだみかん)
紀伊水道に面した海岸沿いや、川沿いの急斜面には有田みかんの段々畑が広がります。急斜面の段々畑は、非常に水はけがよく、太陽の直射光、反射光を受けやすい構造となっています。沿岸を流れる黒潮の温暖な潮風が適度に当たることで、充分な甘みと程よい酸味のバランスに実ります。濃厚でコクがあると評判の高いブランド果実なのです。

●果肉はジューシーで濃厚な果汁たっぷり
●平均糖度11~13度前後
●みかん本来の旨さ味わいが。特に「コク」をお感じいただけます。
●有田みかん独特の味のバランスの良さが特徴です。
●ノーワックスです。自然のままでも充分なツヤがあります。

注意事項
※画像はイメージです。
※Sサイズは10kg一箱で約120~130果程度の果実が入っております(目安)
※商品につきましては、検品後に発送しておりますが、万一商品に問題がございましたら破棄やお召し上がりになる前にご連絡ください。
※商品到着予定日から、3日以上経過したものや、破棄されたものにつきましては、ご対応することが出来ません。
※果実の入荷状況により、出荷対応できる日が異なります。天候等の影響により、発送が遅れる場合がございます。あらかじめご了承ください。
※極早生、早生、中生、晩生みかんのいずれかをお送りさせていただきます。
※極早生、早生みかんの場合、果皮が青みがかっている場合がございます。あらかじめご了承ください。
名称ブランド有田みかん【S】秀品10kg
産地和歌山県
内容量10kg
保存方法到着後は、箱から取り出し風通しのよい冷暗所にて保存ください。
提供元紀伊国屋文左衛門本舗(和歌山県湯浅町)
申込期間~2021年12月15日
発送時期2021年10月中旬~2022年1月中旬頃
・ふるさと納税よくある質問
・寄附申込みのキャンセル、返礼品の変更・返品はできません。あらかじめご了承ください。

【ふるさと納税】■ブランド有田みかん【S】秀品10kg/産地直送/薄皮で甘い美味しい和歌山県産/紀伊国屋文左衛門本舗(お届け日指定不可)

2021年10月25日 (月)

《リゴレット》

ヴェルディのオペラ《リゴレット》を観た(マッジョ・フィオレンティーノ劇場、フィレンツェ)。

ここはサンタ・マリア・ノヴェッラ駅から少し歩くのだが、歩く距離よりも最後の段階で大きな通り(環状道路が合流しているので結構渡りにくいのだが、歩道橋はない)を渡るのに難儀する。その代わりというか、劇場の側に地下駐車場があって、車で来る人が多いのかもしれない。

指揮はフリッツァ。演出はリヴェルモア。リゴレットの家がクリーニング店になっていて、ビニールのかかった服が所狭しと並ぶ衣装掛けが出てくるが、最近はその程度では誰も驚かないし、そこに何の意味があるのかを考えもしないだろう。舞台の奥で電車が通る画像が映し出されていたので時代は19世紀以降なんでしょうね。

リゴレットはエンクバット。モンゴル人でしばらく前からyoutube などで注目していたが、今イタリアで大活躍。先日はテレビ(RAI5)でだが、やはりヴェルディの《仮面舞踏会》でレナートを歌っているのを観た(バルマ劇場のライブ録画)。声質が柔軟で強く、惜しみなく出てきてかつ息が長い。近年のバリトンよりも、CDで聴くバスティアニーニやタッデイに近い感じだ。ただし、バスティアニーニがヴェルディを歌う時には音色の使いわけがあるが哀愁を帯びた音色がエンクバットにはない。いつも堂々とした声が朗々と響き渡る。このリゴレットは演出の意向なのだろうが、背中にこぶはなく、背を丸める様子もなかった。笏を持っていないのはなぜかはわからなかったが。

ジルダはマリアンジェラ・シチリア。素直な声で情感もあり演技も良かったのだが、最終幕の最終場面でのとてつもないテンポルバート、リタルダンドには驚かされた。あれで二割がたカーテンコールの拍手が減ったのではないかと思う。歌手は、情感をこめて歌うとテンポが遅くなりがちであるが、もうこの場面ではそれを取り戻す機会が指揮者に与えられていない。ジルダは息絶えてしまうのだから。

公爵はピエロ・プレッティ。上質な声で歌いまわしも嫌な癖のないテノールだ。しかも声がくたびれていない(コロナの恩恵なのだろうか?)。容姿も端麗であるがやや小柄。

スパラフチーレは、アレッシオ・カッチャマーニ。エンクバットのリゴレットがあまりに声の迫力があるので不利だったが、声も演技も健闘していた。マッダレーナはカテリーナ・ピーヴァ。メゾらしい声質が十分発揮されていた。声の競演としての四重唱は聴き応えがあった。

マッジョ・フィオレンティーノのオケは長年メータに鍛えられたせいか、思いのほか(失礼)演奏能力が高い。フリッツァの指揮もよどみなく、かつ勘所をおさえていた。

しかしストーリーはつくづく嫌な話だ。ジルダの犠牲はまったく無駄で、いわゆるポエティック・ジャスティス、勧善懲悪のかけらもない。この時期のヴェルディはそういうきわどくグロテスクなストーリーを選び、濃厚なオーケストレーションを追求していたのだ。久しぶりにモダン楽器のオケを聴くとフォルティッシモは暴力的に耳に突き刺さる音の洪水である。こういう音に慣れすぎてしまうと、古楽器のオケは物足りなくなってしまうのかもしれない。むろん、まったく異なる魅力がそれぞれにあるのだが。

今回は、エンクバットを筆頭に歌手の質が高く、声の競演を十分味わうことができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2021年10月22日 (金)

I soliti ignoti

イタリアのテレビ番組の話である。I soliti ignoti というのは、もともとはマリオ・モニチェッリの映画のタイトル(1958)だが、それを借りているわけだ。

8人の一般人が出てきて、タレントが彼ら・彼女らの職業を当てる。

1人ずつ出てきて、8つあげられている職業の中のどれであるかを当てるのだが、各人は呼ばれると名前と年齢と出身地および現在の居住地を言う。服装でいかにもスポーツ選手だったり、民族舞踊の踊り手だと分かる人もいる。ヒントが乏しい人もいる。8人中3人はヒント(indizzi)を要求できる。各人には賞金がかかっていて、ひと目でわかる人は安く、ちょっとやそっとでわからない人は10万ユーロなどとなっている。

外人である僕が見ていて面白いのは、男でも女でも年齢がはっきりわかることだ。芸能人などはプロのメークで年齢がわかりにくい。これに出てくる人は一般人で普通のメークで出てくる。知り合いになっても、なかなか正確な年齢は知らないことが多いので、実年齢がわかるのは端的に興味深い。また、こんな職業があるのか、という驚きもある。地方の特産品を栽培している人もいれば、免許更新の手続きをしている事務職の人もいる。

もっとも伝統的な常識的な職業ばかりではない。uomo orchestra という変わった言い方があって、まさかオーケストラ団員?いやそうではなくて、一人で12の楽器を特別な装置をつかって背負って演奏しわけるという芸人、などという場合もある。

特産品がかかわっている場合には、どこから来たというのがヒントになりうる。

タレントは8人の一般人の職業を当てたり、はずしたりしながら賞金を積み上げると、最後の難関が待っている。

最後の一般人の登場である。この人は、それまで出てきた8人の縁者(たいていは兄弟姉妹か親子)なのだが、何番目の人の縁者かを当てる。これも、何のヒントもなしなら賞金が2倍になり、多くのヒントを求めていくと候補を半分に減らしてくれるかわりに賞金が半分になったりする。目や鼻、口の形、途中で横顔も見せるので耳の形や横からみた鼻の形などいろいろな顔のパーツの特徴を見比べて当てるのだが、これが案外むずかしい。とりわけ、縁者同士が男女だとわかりにくい。理由は簡単で、女性は目および目のまわりに集中的に化粧をしているのが普通なので、素の感じがつかみにくい。逆に男はヒゲが濃いと口や口のまわりの感じがつかみにくい。目の色も一つの要素だが、兄弟姉妹で同じとは限らない。考えてみれば、父母の目の色が異なっていて、それぞれ別の側に似るという場合もあるからだ。

ただし興味深いのは、表情がかたまった状態で、これが兄弟、これが親子と思った二人が笑った途端に似ているということがままある。つまり顔のパーツは似ていないのだが、顔の表情筋の付き方が近いのである。しかし、それは答えが出てからなので時遅し。答えが明かされるまでは、最後の謎の人物は、そっけない表情をしたままなのである。

実に単純なクイズなのだが、逆に飽きない。

タレントが得た賞金は、小児病院やCovid19の後遺症を治療・研究している病院などに寄付される。番組中にこうした施設に寄付したい人はここに電話を、という案内もある。

エンターテイメント番組が、寄付行為と自然に結びついている。これは一年に一回の特別番組ではなく、毎日放送している番組である。

むろん、すべてのエンターテイメント番組でこういう寄付があるわけではないが。

 

リサとガスパールのオシャレなシール。もちろん、靴以外の持ち物に貼ってもOKです。※ 【防水】 ノンアイロン・耐水ラミネート絵合わせシール-リサとガスパール 名入れなし【ディアカーズ】【おなまえシール】【ネームシール】【売れ筋】【靴】【左右】【名前シール】【アイロン不要】アミノ酸等 :1.75g 秀品10kg S 交換はお断りしております 香辛料 パッケージのデザイン等 予告なく変更する場合があります お客様のご都合による返品 本製品は 三幸製菓株式会社〒950-3195 :514kcalたんぱく質 お届けまでお時間をいただく場合がございます 大豆 えび ケース単位での販売となります 36枚×12袋 食品に関しては 産地直送 米 粉末しょうゆ 植物レシチン 乳成分を使用している工場で生産しています 小麦 加工でん粉 土 砂糖 メーカー取り寄せ商品のため TEL:048-971-7553 開封後はお早めにお召しあがりください 植物油脂 1176円 大豆を含む ふるさと納税 その他 栄養成分表示 :63.6g食塩相当量 ぱりんこ 100g当たり 大豆由来 原材料 アレルギー情報 :26.6g炭水化物 祝日を除く 広告文責:吉通貿易株式会社 日 :5.1g脂質 商品の性質上 調味料 密封容器等に入れてお早めにお召し上がりください エネルギー 内容量:36枚×12袋 お届け日指定不可 紀伊国屋文左衛門本舗 口どけのよいソフトな食感 米国産 注意事項 まろやかな塩味のサラダせん 薄皮で甘い美味しい和歌山県産 国産 返品について 新潟県新潟市北区新崎2丁目6番1号TEL0120-99-7343受付時間:9:00~17:00 三幸製菓 外袋開封後は湿気やすくなりますので 食塩 お子さまのおやつにピッタリな お問合せ先 ■ブランド有田みかん【購入後レビュー記入でクーポンプレゼント中】 モルテン molten ホイッスル ドルフィンプロ 限定 WDFPWもちろん それぞれの優れた特徴を1台のシャーシにまとめあげたのが レーシーなムードを高めるカーボンパターンなどはメタリック調のステッカーで用意しました です 紀伊国屋文左衛門本舗 鮮やかなイエローのABS樹脂製ボディは 初心者からベテランレーサーまで S デクロス-01 マシン名のロゴや は ミドシップエアロ ミニ四駆PRO 薄皮で甘い美味しい和歌山県産 また 小さめのコースで行われる街かどレースから “MA”とは ■商品説明 さらに を特に意識してデザインされた お届け日指定不可 4950344186501 カラーの異なる別売りのボディセットと組み合わせれば MSシャーシ 別にお求めいただくもの 走行性能も徹底的に磨き上げました 自分だけのオリジナルマシンを作るのも楽しみです ARシャーシ をご覧ください フロントカウル ⇒クロスシステムについてはDCR-01 6個の低摩擦樹脂ローラーやリヤスキッドバーも標準装備するなど シャーシは高性能で拡張性も高いMAを採用 手軽にカラーコーディネートができます DCR-02 ミドシップレイアウトの エアロ デクロス-02 大型の特設5レーンサーキットの公認競技会まで Aパーツはイエローとしたメカニカルな仕上がりです。繊細で立体感あるデザインが特徴のYスポークホイールには、小径ローハイトタイヤをセット ■備考 3.5:1のギヤ比を採用し ダブルシャフトモーターを車体中央に搭載した を採用したミニ四駆PROマシンの第2弾 幅広く対応できるシャーシです 産地直送 秀品10kg リヤウイングの3分割で構成され MAシャーシ 駆動効率を追求したMAシャーシ 高性能な走りでレースも楽しい四輪駆動レーサーのプラスチックモデル組み立てキットです 857円 クロスシステム 完成時の全長156mm 本体はガンメタルカラー 採用マシン第1弾のDCR-01 全幅97mm タミヤ 組み立てやすさやメンテナンス性もさらに向上するなど 組み立ては接着剤不要のはめ込み式 ふるさと納税 塗装したものです■商品情報 18646 単3形電池2本写真はキットを組み立て フロントカウルとリヤカウルは ダブルシャフトモーターつき ミニ四駆 と組み替えることも可能 走行中の気流 全高42mm を手がけたハイパーデザイナーやまざきたかゆき氏が担当 の略 リヤカウル 加えて 一体型のモノコック構造の採用で ■ブランド有田みかん MidshipAERO 18650 革新のコンセプトボディ第2弾 DCR-01 これまでに蓄積されたレーシングノウハウをいかして【全国送料無料】【在庫有り!!即OK】GEX メガパワー共用 ホース GM13215 吸水用6090/9012/1215用 1.5mサージカルテープ 5092 スキンポアFE 秀品10kg カムフリー社 ■ブランド有田みかん 顔や手足に貼っても目立ちません 感謝価格 ComeFree社 あす楽 お届け日指定不可 産地直送 安価で使いやすいサージカルテープのご提案 また紫外線透過率を低く抑えることが出来ます 1099円 紀伊国屋文左衛門本舗 ふるさと納税 薄皮で甘い美味しい和歌山県産 S ■肌色なのでニューエラ メンズ 帽子 【サイズ交換無料】 ニューエラ New Era メンズ 帽子 【Buffalo Bills Core Classic 9Twenty Red Hat】■ブランド有田みかん ワイドキング 洗える パッド一体型ボックスシーツ 100%ウールの日本製ベッドパッド 薄皮で甘い美味しい和歌山県産 秀品10kg 産地直送 S 11595円 紀伊国屋文左衛門本舗 ふるさと納税 敷きパッド お届け日指定不可【合計3980円以上の購入で送料無料】 パールネックレス【アンティーク】【中古】【着】パナソニック 送料無料 87 お届け日指定不可 87複数台制御専用タイプ風圧式高気密シャッター付埋込寸法:320mm角適用パイプ:φ100mm本体:樹脂製羽根:樹脂製ルーバー:FY-32L87 紀伊国屋文左衛門本舗 天井埋込形換気扇FY-32JDSDS81 薄皮で甘い美味しい和歌山県産 Panasonic ■ブランド有田みかん ふるさと納税 複数台制御専用タイプ 11243円 PANASONIC-FY-32JDSDS81-87 天井埋込形換気扇ルーバーセットタイプ S 秀品10kg 送料込 FY-32JDSDS81 産地直送マグレン ビニールカーテン のれん シート 防寒 屋外 工場 倉庫 フォークリフト 出入 飲食店 クリーンルーム 【0と5のつく日限定!生活応援3,000円OFFクーポン】【静電防止・透明】リブ有・マグネット付のれんシート 厚1.5mm×幅22cm 丈300~395cm(丈サイズオーダー5cm単位) 1枚入苦労知らず 中国 紀元前5000年以上前から装飾品や彫刻品の材料として用いられてきました 女性にとっては美容や恋愛成就などの力強い味方になると言われ ■ブランド有田みかん 紀伊国屋文左衛門本舗 天然石 など幸運を運ぶ縁起の良い動物の代表格とされています 和名で滑石 ピンクタルクの特性を存分に発揮した彫刻は見事 ソープは文字通り石鹸を表し化粧品の材料などにも使用され 蓄熱性などの性質を持つため様々な分野で活躍してきた天然石です フクロウは古くから様々な言い伝えが残っており 肌触りもどことなく石鹸のような滑らかな印象です 優しさや穏やかさをもたらしてくれるので大切な人との絆を強めるとされています 原産地 ストレスで固まった心を優しく解きほぐしてくれます 当時の技術でも加工のしやすい硬度と絶縁性 ピンクタルク 重量:約139g ふくろう サイズ:約55x58x36mm 繊細な羽の表現や表情は世界に2つとしてない1点物です ピンクタルクは歴史の深い天然石の一つで 秀品10kg お届け日指定不可 仕様 愛情を素直に表現し 産地直送 アクセサリー パワーストーン S 彫刻置物 No.28 ☆置物一点物☆ ふるさと納税 11800円 ピンクタルク:持ち主の心を豊かにし幸せな気持ちを与えるといわれ 薄皮で甘い美味しい和歌山県産 世界的にもソープストーンとも言われています 不安や心配事 特徴【購入後レビュー記入でクーポンプレゼント中】 ナイキ キーパーグローブ メンズ レディース ゴールキーパー マッチ CQ7799-010 NIKES 容量 黒 480ml 石原ケミカル チッピングコート940 ユニコン チッピングコート 940 ■ブランド有田みかん 紀伊国屋文左衛門本舗 ふるさと納税 商品名 秀品10kg 容量480ml 薄皮で甘い美味しい和歌山県産 商品情報 産地直送 721円 お届け日指定不可送料無料 中古 洗濯機 小型 単身 1人用 高年式 シャープ 【中古】美品 SHARP 4.5kg 全自動洗濯機 2019年製 縦型 風乾燥搭載 ひとり暮らし ES-GE4C 除菌清掃済プラセンタ フランス海岸松樹皮エキスを配合 ふるさと納税 ショ糖エステル 亀島優太 紀伊国屋文左衛門本舗 薄皮で甘い美味しい和歌山県産 ■ブランド有田みかん 原材料:プラセンタエキス末 ビタミンC ポリフェノールの一種プロアントシアニジンなどが含まれています 産地直送 高温多湿を避けて常温で保存してください賞味期限:パッケージに記載販売者:メルスモン製薬株式会社 AID株式会社カスタマーセンター 秀品10kg お召し上がり方 乳糖 世界的に注目されています 120カプセル フランス海岸松樹皮エキス末 名称:プラセンタエキス末含有加工食品内容量:58.4g お届け日指定不可 この松樹皮エキスは 1日4カプセルを目安に水またはお湯にてお召し上がり下さい ゼラチン 1粒内容量410mg 2箱セット ×120粒 メルスモン 052-253-6400管理薬剤師 S カラメル色素保存方法:直射日光 東京都豊島区広告文責GOOD カプセル フランス海岸松樹皮エキスを配合フランス南西部の海岸に生息する松の樹皮エキスで 1粒重量487mg 11469円 ビタミンC

| | コメント (0)

2021年10月18日 (月)

ラッファエーレ・ペのリサイタル

カウンターテナー歌手ラッファエーレ・ペのリサイタルを聴いた(フィレンツェ、ペルゴラ劇場)。

ペルゴラ劇場は1660年代からあるイタリアでも最も古い歌劇場の1つ。現在ではオペラは、マッジョ・フィオレンティーノで上演することが多く、こちらでは通常の演劇や、室内楽やリサイタルが催されている。バロック・オペラの録画などで使われていることはあるし、この大きさは、バロック・オペラにぴったり(建設の時代を考えれば当然とも言えるが)。パルコ(桟敷席)を縦に積み上げる方式を大規模な劇場で採用した最初であるらしい。

ラファエーレ・ペのリサイタルは、L'arte del canto:Virtuosissimo    Cinque cantanti, una voce  とある。歌唱の技術:名人芸 五人の歌手を一つの声で、といったところだが、当日配布された一枚のパンフレットに解説があるので、それを要約しながら説明しよう。

18世紀前半には、ファリネッリ、カッファレッリ、セネジーノといった名人芸をもったカストラートが輩出し、作曲家は彼らの声の特性にあわせて曲を作った。当て書きである。

当夜のプログラムはそれをあえて混ぜる、複数の歌手に向けて書かれた曲を一人の歌手が歌うという試みである。ここでもともと当て書きされていた歌手は5人。ファリネッリ、カッファレッリ、二コリーノ、セネジーノ、ガエターノ・ベレンシュタットである。

当日のオケは La lira di Orfeo というグループでラッファエーレ・ペが創設者である。この日はヴァイオリン2人、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、チェンバロ、ファゴット、トランペット、オーボエ(ピッコロと持ち替え)各1で9人の編成だった。オペラの時にはより大きな編成を組んでいる。

当日のプログラムは

ヘンデルの水上の音楽から、トランペット協奏曲的な部分。

ヘンデルの《アマディージ》から'Sento la gioia' (二コリーノのために書かれた)

ヘンデルの《ロデリンダ》から’Dove sei amato bene' (セネジーノのために書かれた)

ヴィヴァルディのリコーダ(flautino) のための協奏曲 RV443 まさに名人芸を要求される曲。

ヴィンチの《捨てられたディド》から'Son quel fiume' (ガエターノ・ベレンシュタットのために書かれた)。ベレンシュタット(ベレンスタット)は、フィレンツェ生まれの歌手で、暴君や敵役を得意としていたそうである。

ここで休憩

リッカルド・ブロスキ(ファリネッリの兄)の《イダスペ》から 'Ombra fedele' (ファリネッリのために書かれた)

ヴィヴァルディのヴァイオリン・コンチェルトから1つの楽章 RV208

ヘンデルの《セルセ》から’Crude furie' (カッファレッリのために書かれた)

ヘンデルの《リナルド》から 'Or la tromba' (ニコリーノのために書かれた)

アンコールで二曲。一曲はヘンデルでもう一曲は不明。

ペの声は、日本で聴いたときよりも状態が良いように思えた。コロナでほとんどの歌手が強制的に休暇というか活動停止を余儀なくされたわけだが、歌手によってはそのことが声に良い作用をもたらした人もいるであろう。自分のオケを率いている強みもあるかもしれない。フレーズによって

ヴァイオリンやチェロと目を交わしながらテンポを調整し、ノッてきてテンポが早くなってもオケは心得たものですっと合わせてくる。歌っていて彼が楽しそうなのがわかり、こちらにもそれが伝わる。彼の声はどちらかというとビブラートが少なく澄んだ声なのだが、クライマックスになると思いがけず強い声が発せられる。しかしその強い声も澄んでいる。そして、カウンターテナーとしてはかなり例外的に歌詞がよく聞き取れるのである。素晴らしい。最近は、ファリネッリのために書かれた曲を集めたCDとかセネジーノのために書かれた曲を集めたCDというものがあるが、その逆をいったリサイタルだった。カストラートの一人一人の特徴をつかんだ上で聞けば、5人ものカストラートの曲を歌いわけるペの力技がより味わえたのだと思うが、そうでなくても十二分に楽しめた一夜だった。

ちなみにこのプログラムは、来年3月に新百合ヶ丘のテアトロ・ジリオにもツアーで行くことになっている。

| | コメント (0)

2021年10月 4日 (月)

エットレ・バスティアニーニ協会の年次大会

エットレ・バスティアニーニ協会の年次大会に出席した(フィレンツェ、フィレンツェ5月祭劇場、フォアイエ、2021年9月18日)。会のタイトルは「フィレンツェにおけるエットレ・バスティアニーニの輝かしい歳月」。

このご時世なので、劇場に入る時にはグリーンパスとパスポートを見せる。入り口に消毒液も用意されている。フィレンツェでオペラと言えば、もっとも古いのはペルゴラ劇場で、今は演劇に使われ、時々、バロック・オペラに使用されているようだ。バスティアニーニが活躍した1950年代、60年代はテアトロ・コムナーレで歌っており、それはつい最近2014年ごろまで使用されていた。

今回の会場は、新しい劇場で、二階のフォアイエが協会の年次大会の会場だった。

エットレ・バスティアニーニは、1922年シエナ生まれのバリトン歌手である。最初は、バス歌手としてデビューしたのだが、バリトンに転向し、スカラ座やウィーン、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場(これも現役のではなくて、彼が歌ったのは前の劇場)で大活躍をしたヴェルディ・バリトンである。しかしキャリアの絶頂で、咽頭癌に冒され、声を保つことを優先し摘出手術はせず、1967年に44歳の若さで亡くなった。彼の演奏は、ロンドンやドイツ・グラモフォンのほかかなり多くの海賊版(ライブ演奏)が残されている。日本では、東京文化会館で《イル・トロヴァトーレ》のルーナ伯爵をデ・ファブリティースの指揮で歌い、翌々年には単独来日し、リサイタルを各地で開き、レコードも岩城宏之の指揮及び三浦洋一のピアノで残している。

彼の声は鋼の強さとヴェルヴェットの柔らかさを持つと言われ、曲想によって全く異なる声の色を使い分けていた。彼はヴェルディを深く尊敬し、日本に来た時も、小さな肖像画を携帯していたと言うエピソードは有名である。

さて当日の会は、フィレンツェ五月祭の文化推進担当ジョヴァンニ・ヴィターリ氏の司会でミニ・シンポジウムの形で進行した。

ヴィターリ氏は、司会役を兼ねていたが、基調講演に相当するスピーチで、バスティアニーニのキャリア、とくにバスからバリトンに転向してからのキャリアの最も重要な一歩が、フィレンツェでロシア・オペラを歌ったことだと紹介した。バスティアニーニは1952年にチャイコフスキーの《スペードの女王》(イタリア初演だという)、プロコフィエフの《戦争と平和》、そしてチャイコフスキーの《マゼッパ》を歌っている。《スペードの女王》は、チャイコフスキーがフィレンツェ滞在中に執筆した作品であり、まさにフィレンツェと縁が深い。この時の指揮はロジンスキーで、ユリナッチとの共演であった。

続いてヴァレリオ・パーネ氏(音楽評論家、オペラ演出家)がそのロシア・オペラでのバスティアニーニのデビューの意義について論じた。1952年の《スペードの女王》でバスティアニーニはイェレンスキー役を歌ったが、声だけでなく解釈が成熟しており、かつモダンな歌唱であった。この時の演出は、タティアーナ・パヴロヴァで、彼女は革命でロシアを逃れイタリアで演劇界にはいり、演出家が劇全体のコンセプトを統一していくやり方をイタリア演劇に導入したと言われているが、この《スペードの女王》ではじめてオペラ演出をてがけ、バスティアニーニはその指導を受け、大きな影響を受けたと言われている。この時期に、ロシア・オペラが3作続けて上演されているのは、当時フィレンツェ5月祭の芸術監督だったフランチェスコ・シチリアーニによる選択だそうだ。

 レコード録音では1957年にポンキエッリの《ジョコンダ》(バルナバ)や《カヴァレリア・ルスティカーナ》を録音している。かと思えば、バスティアニーニはベルカントものも上演、録音しており、パイジェッロおよびロッシーニの《セビリアの理髪師》はどちらも歌っている。

 ここでフィレンツェの副市長(女性)マリア・フェデリカ・ジュリアーニ氏の挨拶があった。この日はG20(農業大臣)がフィレンツェで開催されており、かつ4つのデモもあって、市長が来る予定が来られなくなったとのことであった。

 フィレンツェ市は、フィレンツェ五月祭を推進するとともに、過去の五月祭で活躍した人々の業績を振り返ることも並行してやっていくとのことであった。

 次の報告者はピエロ・ミオーリ氏でこの人はボローニャのコンセルバトリオの教授で、バスティアニーニ協会の大会に何度も参加している。彼はバスティアニーニのヴェルディ歌唱について述べたのだが、前提条件ともなるところについて2つのことを指摘した。1つは、最近はヴェルディの作品のクリティカル・エディション(批評校訂版)が出来て、細かく表情記号が書いてあったりするが、1950年代、60年代に劇場で使用されていた版を見ると、クリティカル・エディションにpまたはpp と書いてあるところに何にも書かれていないことがよくあるという。だから、1950年代、60年代の歌手が楽譜を無視していたのではなくて、エディション自体が違っていたということなのである。また、もう一つのエピソードは、演奏者の自由についてだ。1866年にパリで《ドン・カルロス》が上演されそれほどの大好評でもなく、イタリア語版を作ってボローニャで上演した際には大好評であった。その時にアントニオ・コトーニというバリトンがロドリーゴを歌った。コトーニは後に教師となってジッリやティタ・ルッフォなど錚錚たる人に教えた。彼が 'per me giunto' の部分の舞台稽古をしている時に、ヴェルディが僕はそうは書いていないよ、というと、コトーニはでもマエストロ、舞台ではこう歌ったほうが良いと思いますが、というと、ヴェルディは、その通りだね、今回は君が正しい、と言ったというのである。作曲家が書いた楽譜は尊重せねばならないことは言うまでもないのだが、一定の解釈の自由がある、というのがミオーリ教授の主張である。バスティアニーニの場合、当時の版に書いてあることは、非常に細かいところまで数学的なまでに忠実にバスティアニーニは歌っているという。三連符やトリル、装飾音など非常に忠実であるというのだ。

 そのうえでさらに、言葉の問題を指摘していた。言葉が大事だと言うのは誰でも言うのだが、単語レベルではなく、フレーズのレベルで、前の単語が次ぎの単語に、さらにその次の単語につながっていくときに影響を及ぼすのだが、それをフレーズとして歌うことにバスティアニーニやカラスは優れていた。フレーズの中で、音程が上がっても下がっても音色が変わらない。高音に関しては、i や u で高い音を歌うのはつらいので、カラスの場合、《Pirata》で tenebre oscura という原文を tenebre fonda に変えていたという。

  最後はアレッサンドロ・モルミーレ氏で彼は音楽評論家である。バスティアニーニの同時代の批評家のロドルフォ・チェレッティがなぜバスティアニーニの歌唱に批判的であったかを解説してくれた。チェレッティは19世紀以来の伝統的な歌唱法をよしとしていたので、バスティアニーニのヴェリズモ的でかつモダンな歌唱を評価することができなかったのである。だからチェレッティは、1950年代半ばにフィレンツェで録音されたドニゼッティの《ファヴォリータ》(アルフォンソ11世、シミオナートと共演、指揮エレーデ)、《リゴレット》(タイトルロール、指揮ガヴァッツェーニ)のどちらも手厳しい批判をすることしか出来なかったのである。

 歌い方は時代とともに変化する。しかし、過去の歌手がモデル、規範になることはあるわけで、ルカ・サルシなどはバスティアニーニへの敬愛を公言している。

 ごくごくかいつまんで報告を要約した。このかいつまんだ要約からも、これが単なるファンクラブの集まりというものとは質を異にすることがお分かりいただけよう。しかも会員はむしろ音楽を専門とするのではない人がほとんどなのである。イタリアのオペラ愛好者の裾野の広がりと、愛好するという時にたんに好き、嫌いというだけでなく、きちんと論じて、歴史的に位置づけていくという意志の強さを感じる。

 来年は、バスティアニーニ生誕100年の記念すべき年である。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2021年9月20日 (月)

コロナ時代のキス

コロナ時代のキスを目撃した。コロナ時代のキスという言い方も妙なものだが、これまでに目撃したことのなかったものなので、とりあえずこう呼んでおこう。一度はインスブルックで、オペラを観るために劇場に行った時。幕が上がる20分ほど前だったろうか、漠然と前方、舞台の方向を見ていると、60歳前後のカップルがやってきて座ったのだが、女性がいきなりマスクを下げて男性にキスをし、またマスクをつけた。劇場の客席であったし、わざわざマスクを下げて、キスをするという能動性が衝撃的であり感動的でもあった。彼らがどこから見ても若者でないことも。それでも家またはホテルに帰るまで我慢できない、と言うことなんでしょうね。

もう一つ。フィレンツェには近年トラム(路面電車)ができた。市の中心部と空港を往来する市電である。そこに2人の10代とおぼしき若者が座っていたのだが、トラムに乗る時は誰もがマスクをしている。彼・彼女もちゃんとマスクをして何か熱心に話していた。男の子がマスクをしたまま、女の子のマスクにキスをした。これは定義によってはキスと言えるのかどうか微妙だ。触れ合っているのは、彼のマスクと彼女のマスクであり、二人とも唇は出ていない。しかし気持ちから言えば彼・彼女はキスをしているのだと思った。それから数分後彼はまた同じ行為を繰り返した。彼女もそれに応えていた。

個人差があることは認めた上で言うのだが、日本人よりドイツ人、さらにイタリア人はボディ・ラングエッジを日常的に使う、いや使っていた。それがコロナで自由に使えなくなった不自由さは僕ら以上に痛切なものがあるのだと思う。だからマスクをつけている、つけることが求められる空間で、そのルールを突き抜けて愛の表現が新たに生まれている、そこに新鮮な驚きを感じた。

 

| ☆ステッドラー トリプラス ファインライナー カラーペン 60 色セット 334C60 コストコp | コメント (0)

《カルロ・イル・カルヴォ》その3

ポルポラ作曲のオペラ《カルロ・イル・カルヴォ》について補っておきたいこと(バイロイト、辺境伯劇場)。

《カルロ・イル・カルヴォ》は昨年及び今年の上演で音楽的に極めて聞きごたえがあるものであることは、全てのオペラ・セリアに興味ある人の耳に明らかになったと思うが、ツェンチッチの演出は考えぬかれ、それがままあるように音楽とは無関係にリブレットの字面から思いついたという次元のものではなく、音楽と歌唱の表現と演出が抜き差しならぬ関係になっている部分がある。

 ツェンチッチの演出の場合、もっとも演劇的にやりがいのある役はアスプランドだろう。アスプランドは冒頭からロッターリオの意を受けて政治工作をするのだが、相当な策士で色仕掛けを次々にするジュディッタをも信用させてしまう。すっかりロッターリオの側の人間かというと、ロッターリオに自分からキスをしてこれまた彼を夢中にさせる。ロッターリオとアスプランドが睦あう様子を、ロッターリオの妻(モック)が見てしまう。これがツェンチッチ演出の1つのポイントで、大詰めに近いところで、妻がアスプランドを射殺する。ロッターリオは駆け寄り、アスプランドを抱きかかえ嘆く。そして改心するのだ。原作ではロッターリオは、息子アダルジーゾ(ファジョーリ)がカルロを助け、「無実の者は天が助けるのです」などと言うのを聞いて改心するのだが、それでは空々しいと演出家は考えたのだろう。今回の上演では、愛するアスプランドが死んでしまって現世のはかなさを思い知ったロッターリオが改心すると言う仕掛けになっている。原作の方がはるかに美徳の勝利という色合いが強いわけだ。

ツェンチッチは、そもそも時代を中世から1930年代のキューバに移し、多少のオリエンタリズムを匂わせながらも、より卑近な物語に仕立てていると言えよう。

そう言った枠組みの中でファジョーリ演じるアダルジーゾはどう描かれているか。アダルジーゾは、ここでカルロを殺してしまえば(見殺しにすれば)王位が自分に確実に回ってくるという場面が複数回あるのだが、いずれも何の迷いもなくカルロを助けて、こんなことで王位をもらっても恥ずかしいだけではないか、と父ロッターリオを説教する人物だ。ある意味では徳の高い人物だが、ある意味では全く権力闘争を理解しないナイーブな人物である。権力闘争に邁進する父との関係がうまくいくはずはなく、彼はある種の適応障害を起こした人物として描かれているし、だから一幕の退場アリアでも過呼吸に苦しんでいる。最初に見た時には、ファジョーリの演技がずいぶんぎごちない感じがしたのだが、よくよく見れば、人生や周りの人々の過剰にアグレッシブな生き方についていけない人物として造形されているから、ぎごちないのが当然の帰結なのだ。また、このオペラでは第三幕4場で奇跡のようにロマンティックな愛の二重唱がある。アダルジーゾとジルディッぺ、つまりファジョーリとレジネバの権力闘争からは隔絶された愛の二重唱である。ロマン主義を100年先取りしてこの甘美なドゥエットが成立したのにはいくつかの条件がある。第一はそれに相応しい音楽をポルポラが書くことができ、それを現代に蘇らせることのできる歌手と指揮者とオケがいたこと。第二は、台本に関わることで言えば、アダルジーゾが権力闘争に対してアレルギーを起こしている適応障害的人物であること。それに加えて第三には、アダルジーゾはこの場面の冒頭で囚われの身で、それをジルディッぺがやってきて解放するというストーリーなのだ。主要登場人物が囚われの身というのは、バロック・オペラには実によく出てくるシチュエーションだ。ヴィンチの《アルタセルセ》もそうである。外界から隔絶された状況だから、ふとその時代を超えた理屈がそこでは生きる。しかしそれは一瞬の夢のような空間・瞬間だ。他の者がなだれこんで来ると壊れてしまう。ある意味では特権的勘違いの空間・瞬間なのだが、ロマン主義が蔓延ると、この勘違いが世を覆い尽くしてしまうわけである。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2021年9月14日 (火)

ポルポラ作曲《ポリフェーモ》その2

ポルポラ作曲《ポリフェーモ》を観た(バイロイト、辺境伯劇場)。

《ポリフェーモ》の上演2日目であるが、これが今年のフェスティヴァルの最終演目でもある。昨日のファジョーリのガラコンサートで帰ってしまった人、グループもいたが、この日の上演も大変質が高かった。ポルポラの音楽は、《カルロ・イル・カルヴォ》もそうであったが、主役以外にも聴き応えのある曲があって、それはちょっと聴くと地味なのである。繰り返し聞くと味わい深くなってくる。

 ポリフェーモに与えられたアリアなどはオケがトゥッティの連続で独特の響き、味わいを出している。一方、アーチの 'alto Giove' や続くアジリタの続くアリアを聴くと、ファリネッリはどんな風に歌ったのかと思わずにはいられない。

  

 

 

 

 

| | コメント (0)

フランコ・ファジョーリのリサイタル

フランコ・ファジョーリの《ヴィンチ・ガラ》と題するリサイタルを聴いた(バイロイト、辺境伯劇場)。

現在、視聴可能です。https://www.bayreuthbaroque.de/events/franco-fagioli-de/?fbclid=IwAR26Mh9K9SFT1gp83ep0F1iwoOTru_kOZhDpLCwgKOnQ1u4rB1wbJLPLh0k

ポルポラのライバルだったオペラ作曲家レオナルド・ヴィンチのアリアをファジョーリの歌、ペトルーの指揮アルモニア・アテネアの伴奏で聴く一夜だった。間にヴィンチのオペラのシンフォニアや、ヘンデルのコンチェルト・グロッソが挟まれていた。

ヴィンチのアリア集は、ファジョーリがポモドーロと一緒にCDを出しているが、それとは別の響きがする。一言で言えば、ポモドーロの伴奏のほうが流麗で歌ともピタッと合わせてくる。一方、ペトルーの場合は、音楽を立体的・構築的に築いてくるので、アクセントをつける瞬間にエネルギーが炸裂したり、そこに向かってエネルギーが蓄積していく様が見えるという醍醐味がある。

アリアの出だしのタイミングなどはポモドーロの方が見事に合う。これだけ違うタイプの演奏であることで、ヴィンチの音楽の可能性が拡大されて見えてくるとも言えるだろう。

曲目は最初が《セミラーミデ・リコノシュータ》のシンフォニア。次が《ジスモンド》のアリア'Quell'usignolo ch'e' innamorato'

《アルタセルセ》のアリア’Fra cento affanni e cento' ここでヘンデルのコンチェルト・グロッソop3 No1 HWV312. ヘンデルのコンチェルト・グロッソはオペラと比してやや間延びした演奏が多いのだが、ペトルーの演奏は退屈するところがまったくない。歌わせるところはたっぷり歌わせ、進むべきところは脇目も振らずに進む、といった感じか。

 次が《シロエ》のアリア’Gelido in ogni vena' これなどはポモドーロの伴奏とペトルーが相当に違っているので聞き比べると面白いだろう(コンサートの方は現在、配信されているので視聴が可能、上記のサイトをご覧ください)。前半最後が《セミラーミデ・リコノシュータ》のアリア’In braccio a mille furie'

後半は《Medo》のアリア'Sento due fiamme in petto'  《Gismondo》のアリア’Nave altera'

再びヘンデルのコンチェルト・グロッソ op.3 No2, HWV 313.  続いて《Catone in Utica》のアリア'Quell'amor che poco accende',

《Artaserse》のシンフォニア、ついで 'Vo solcando un mar crudele' この曲はやはりファジョーリのイコン的アリアだが、テンポは遅めなのだが歌うのは難しそうだ。この曲で締めたあとは、アンコールでヘンデルのアリアを二曲歌い、もう一度この 'Vo solcando' を短いバージョンで歌い演奏会を閉じた。

今更ではあるが、ファジョーリが特別なカウンターテナーであることを感じる。アリアの一曲、一曲の彫琢の確かさ、テンポもオケに引きずられたり、リタルダンドで遅くなりっぱなしなどということは決してない。いや、何よりヴィンチの曲の特徴でもあるがアジリタを聴かせつつ叙情性が高まっていく切迫感をこれほど聴かせる演奏はちょっと他には想像しにくい。だから装飾音をふくめて彼は一音一音の音色までコントロールしようとしているし、ほぼそれに成功しているのは驚異的なことだ。

 

 

 

| | コメント (0)

2021年9月11日 (土)

オルリンスキー、リサイタル

オルリンスキーのリサイタルを聴いた(バイロイト、辺境伯劇場)

《Anima aeterna》(永遠の魂)と題されたリサイタルを聴いた。オルリンスキー自身が時々司会をするのは、先月のオーストリア、インスブルックでの演奏回と同じなのだが、曲目がまったく違うのは立派。本人によると、Anima aeterna と題するCDを録音したところで、その中には世界初録音がいくつもあるので、今日皆さんは、世界で初めて聞く曲がいくつもあります、と言っていた。

作曲家はJanez Krstnik Dolar (1620頃ー1673)、Georg Reutter der Jungere (1708-1772), Antonio Lotti (1667-1740), Francesco Bartolomeo Conti (1681-1732), Francisco Antonio de Almeida (1702-1755), Gaetano Maria Schiassi (1698-1754), Baldassare Galuppi (1706-1785), Bartolomeo Nucci (1695-1779). 17世紀から18世紀前半の様々な作曲家の器楽曲(Dolar, Galuppi) と宗教的歌曲を集めたもので、スローなテンポなものと早めのテンポのものをほぼ交互に歌っていた。

オーケストラはポモドーロなのだが、インスブルックの時とコンサートミストレスとチェロが違うのに気がついた。インスブルックのプログラムにはZefira Valovaの名前が音楽監督として明記されており彼女が音楽をリードしていく部分があり、それに呼応してチェロやコントラバスも時に積極的なリズムを刻んでいた。ほんの零点何秒かそれ以下の違いでも、通奏低音が前に出たりするとリズムの動きとしておっという感じになるし、適切な場合には音楽が活性化する。インスブルックではミナージ(指揮者のミナージの弟)がチェロだったが当日は違う男性であった。またZefira Valova もいなかった。あとである方に教えていただいたのだが、Valovaとミナージは夫婦なんだそうである。知らなかった。それはともかく、この二人がいるときといない時ではポモドーロのサウンドが異なっていて、一言で言えばアンサンブルは例によってピタっと合っているのだが、大人しい控えめな伴奏になっていて、自分から仕掛けるという場面が少なくなっているのだった。ずっと古楽の高いレベルの演奏を聴いているとわれながら途方もなく贅沢な耳になっていると思う。スポーツでもオリンピックやワールドカップなどを見続けていると、高いレベルの技に見慣れてしまうのと似ているかもしれない。自分が出来る出来ないはまったく無関係である。しかし、見慣れれば、こちらの選手の方が上手いとわかってしまうわけで、逆に言えばそういう面がなかったらその競技をする人しか楽しめないということになって観客層はとても狭いものになってしまうだろう。

音楽も同様で、一つか二つの楽器をやった経験はある人が多いと思うし、まあ自分の習った楽器の方が技量の細かいところまで判るということはあるけれど、オーケストラのすべての楽器を習い、声楽、指揮、演出をやり、リブレットも書いたことがある、などという人はごくごく稀に違いない。しかしそうでなくても楽しめるからこそのオペラであり、コンサートであり、リサイタルなのだとも思う。

後半はヴィヴァルディの Beatus Vir (Psalm112) RV795 これなどは、宗教曲なのだが、結構アジリタを聴かせる部分がある。Giuseppe Antonio Brescianello (1690-1758)の Ciaccona a 6 in A-Dur 器楽曲。Johan Joseph Fux (1660頃ー1741)、Davide Perez (1711-1778)で最後はヘンデルの Amen, Alleluia. Antiphon in d-Moll HWV269. 

アンコールでは前半のSchiassi のMaria Vergine al Calvario 'A che si serbano'を歌った。

オルリンスキーはデビュー当時はともかく最近は、17世紀のものや宗教曲に傾斜しているように見える。たしかに比較的ビブラートが少なく、ドラマティックというよりはリリカルな声質にあっているのかもしれない。ないものねだりで言えば、音程が少しあやふやなところがパッセージ途中に時々みられるのだった。

しかし宗教曲がかび臭いものではなくて、同時代のオペラと同様の語り口を持っていて、結構スイングしたりノレる音楽であることを示しているのは素晴らしいことだと思う。これもまた、17世紀、18世紀の音楽に対するわれわれの認識をポジティブに上書き更新してくれる営みだ。

 

| | 【第2類医薬品】太田胃散 太田胃散 分包 (48包) ツルハドラッグ

ポルポラ作曲《ポリフェーモ》その1

ポルポラ作曲のオペラ《ポリフェーモ》を観た(バイロイト、辺境伯劇場)。

今年のバイロイト・バロック・オペラ・フェスティヴァルの新作である。《カルロ・イル・カルヴォ》は去年が初演だった。

直前まで去年のヴィンチの《ジスモンド》のようにコンサート形式での上演なのか、それとも本格的に舞台も衣装もあるのか気になっていた。実際は、舞台にはいかにもバロック時代の劇場を思わせる遠近法を強調したセットが両脇から張り出しているが、その舞台にオーケストラが乗り、手前で歌手が歌うコンサート形式だった。考えてみれば、数日前には、《カルロ・イル・カルヴォ》であれだけ渾身の演技をしていたレジネバとツェンチッチが《ポリフェーモ》にも出演しているだけですごいことかもしれない。

こちらは演技や衣装がなく、当然モック役もいないので、登場人物はシンプルである。指揮はペトルーでオケがアルモニア・アテネア。

この話は、オウィディウスの変身物語とオデュッセイアからの話が合体している。王(あるいは暴君)のもとに二組のカップルがいる、というオペラの定番に合わせるためにリブレッティスタのパオロ・ロッリがそういう工夫をしたのである。だから、トロイ戦争からの帰還途中のウリッセ(オデュッセウス)が出てくる。

第一のカップル、アーチとガラテアは、初演当時大スターのファリネッリとクッツォーニが歌ったが当日は、カウンターテナーのユーリ・ミネンコとレジネバが演じた。第二のカップル、ウリッセとネレーアは、ツェンチッチと Sonja Runje (メゾソプラノ)。そしてタイトルロールが一つ目の怪物ポリフェーモで、パヴェル・クディノフが演じた。

その日の席はたまたま最前列であったのだが、ここで聴くと歌手の声の音圧がビンビン伝わる。音量が大きければ大きいほど良いという風に考えているわけではないが、事実として言えば、レジネバとクディノフの音圧はすごかった。以前、音量に従って針の振れるアンプを使っていた時に、ソプラノが声を張り上げるとオーケストラよりもピンと針が大きく振れることがあって、マイクが近いせいなのかなどと思っていたが、それもあるかもしれないが、実際、近距離で聴くとこの二人が声を張り上げると耳に刺さるような大音量である。はっきり音圧を感じるのだった。繰り返すが、バロック・オペラで歌手に求めるものは、様式感や様式感を崩さないなかでの叙情的表現であったりして、声が大きければ良いと言いたいわけではない。

話は、一つ目の怪物ポリフェーモ(クディノフ)が、ニンフのガラテア(レジネバ)に横恋慕するが、ガラテアは人間のアーチ(ミネンコ)が好きなのである。それが一組目のprimo uomo, prima donna の歌う役柄、そしてそこにウリッセとネレーアが加わるのだが、ポリフェーモは乱暴なやつで岩を投げてアーチを殺してしまう。ガラテアは嘆き、ジョーヴェ=ゼウスを責める。するとジョーヴェはアーチを川の神に変える。それを感謝するのが有名なアリア「アルト・ジョーヴェ」なのだ。文脈を知って聞くほうがずっと感動的である。一方、ウリッセは知恵者で、ポリフェーモにワインを飲ませ酔っ払わせ、そのスキに目をつぶしてしまう。こうして二組は怪物をやっつけ結ばれ、めでたしめでたしという話である。

通常の暴君プラス2組のカップルが、怪物プラス2組のカップルになっているわけである。カップルも人間ではなくて、ニンフだったりする。例によってポルポラのアリアの作風は様々で、ポリフェーモのアリアはいかにもバスにふさわしいメロディー、音型が出てくる。

役柄にふさわしいアリアが書き分けられているので、それらは実演を何度も聞き込むと、一層明らかになるだろう。今回の上演も配信されているし、CDも来年発売とのことである。

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2021年9月 9日 (木)

[送料無料商品と同梱がおすすめ]おしりふき ふた ビタット(Bitatto)シンプル おしゃれ おしりふきケース おしりふきにもOK! 出産祝い プレゼント &mom アンドマム おしりふき ふた ビタット 7色 ホワイト チョコレート マンゴー ストロベリー ブラック ポップレッド ミントグリーン【送料無料商品と同梱で送料無料】 &mom アンドマム

ヴァイオリニストで指揮者のマルティナ・パストゥーシュカとその仲間による「王侯の音楽」と題されたコンサートを聴いた(バイロイト、辺境伯劇場)。パストゥーシュカは去年、このフェスティヴァルでヴィンチ作曲の《ジスモンド》の指揮・コンサートミストレスを見事に演じていた。Youtube でVinci、Gismondo (カタカナではダメです)で検索するとバイロイトのではないが、彼女の弾き振りが観られます。

劇場に入ると、先日の《カルロ・イル・カルヴォ》の時とはまったく異なった建物の内側を遠近法を強調した感じのセットが組まれている。翌日のオペラ《ポリフェーモ》のためのセットだと思われる。この日の演奏は5人によるものだったが、カメラが五台、舞台上に二台、客席に三台入っていた。これもひょっとすると翌日のオペラ上演撮影の予行演習を兼ねていたのかもしれない。5人の室内楽を撮影しているのだが、舞台上のカメラ二台には移動をなめらかにする脚がついていた。

プログラムはなかなか凝ったというか、珍しいもので、マクシミリアン3世ヨーゼフ(バイエルン選帝侯、1727-1777)が2曲、Michele Mascitti (um1664-1760) が3曲, Johann Pfeiffer (1697-1761). 

選帝侯の作品があるのは面白いが、先日はバイロイトの辺境伯に嫁いだヴィルヘルミーネの曲が演奏された。Michele Mascitti はこの選帝侯の祖父マクシミリアン2世に作品を献呈していてその中の2曲が演奏された。Johann Pfeiffer はヴィルヘルミーネが弟のフリードリヒ大王から紹介され、長い年月をかけてバイロイトへの招聘に成功し、ここで宮廷楽長となり、ヴィルヘルミーネに楽器演奏や作曲を教えもした。

選帝侯の作品は、洒落た主題が出てきて感心した。カノン風の曲もある。ただし、主題がどう展開するのかなあ、というあたりになってぱっと終わってしまい、あっさりと終わるのだった。プロの作曲家ではないから、手の込んだ部分は省略で良いのかと思う。それを専業というかプロの作曲家の作品と比較するのも一興だった。

当日の演奏メンバーはヴァイオリン2人、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロ、テオルボ(キタローネと時々持ち替え)。ヴィオラ・ダ・ガンバの心に訴える音色やそれを活かした曲を聴いているとなぜあるときこの楽器が廃れてしまったのか不思議である。

| | コメント (0)

促進 玉樹 ヘアトニック

ヘンデル作曲のオラトリオ《ユダス・マカベウス》を聴いた(バイロイト、Stadkirche).

場所は、町の中心部にある立派な教会である。コンサート形式で、歌手は普通の服(コスチュームではない)。指揮は Bart Naessens. オケはB'Rock ,ベルギーのオケ。合唱がBachPlus こちらもベルギーの合唱団。ユダス(テノール)Benjamin Hulett. ユダスの弟シモン(バス)Pavel Kudinov. イスラエルの女性{ソプラノ)Lucy Crowe の予定が交代した。イスラエルの男性(アルト)はOlivia Vermeulen. 

アリアとレチタティーヴォがあるので、題材は聖書外伝のマカバイ記に基づくとは言え、オペラに近い構成なのだが、やはり教会で舞台なし、衣装なしでやると雰囲気は随分と変わるのだった。一つにはヘンデルの劇音楽でありながら、カストラートを前提としていないので、超絶技巧の曲がない。また、教会で演奏する場合、例によって長い残響があるので、歌詞はほとんど聴き取れない。

バイロイト・バロックのプログラムにはリブレットがドイツ語英語の対訳で掲載されており、かなりの人がプログラムを広げて歌詞を確かめながら聴いていた。僕もそうだ。客席の明かりは落としてないから歌詞を読むのに問題はない。しかし発音を聞き取るのは残響のために至難の業となっていた。あるフレーズが繰り返される場合は例外的にキャッチしやすいのだが。

この曲で思ったことは、これはどんな解説書にも書いてあることだが、この曲の作曲された契機についてである。ジャコバイトの乱、つまり名誉革命でイギリスを追われたジェームズ2世の孫ボーニー・プリンス・チャーリーがスコットランドに上陸して王位を奪還しようと試みたのだが、カンバーランド公爵がこれを打ち破ったことを記念して作曲されたのである。まったくプロパガンダ的あるいは愛国的な政治的な作品である。プロパガンダというと悪いイメージがわく人が多いかもしれないが、これはもともと宣教など思想や宗教を広める意である。プロパガンダにとりわけ悪いニュアンスがこびりついたのはナチスのプロパガンダ相のゲッベルスがあまりに狡猾、効果的、大衆扇動的にこれを用いてある意味で「成功」してしまったことによるところが大きいだろう。

また、戦意高揚や愛国心を駆り立てるための作品なんて、という考えが浮かぶ人も少なくないと思うが、芸術のための芸術という歴史的なパースペクティヴななかでは極端な考えが出てきたのは19世紀後半である。バロック時代には、作品は君主、皇帝、領主あるいはその奥方、あるいはその子供たちの出生、結婚などのために作るというのは、むしろ当然のことだった。聖書を題材にした絵画が、文盲の多かった時代にどれだけキリスト教の教えを広めるのに役立ったかは言うまでもないだろう。

さらに、なかなか複雑な心境にもなるが、プロパガンダのための作品だから作品が優れていないということもない。

ヘンデルの作品に話をもどそう。われわれの感覚からすると結構不思議なのは、この作品のリブレットだ。ヘンデルが自らトマス・モレルに依頼したという。その中身はというと、一言で言えば、ユダス・マカベウスは、異教徒から異教を崇拝するように強要されたが、それに対抗して敵を打ち破ったユダヤ人の英雄なのである。言わば宗教対立のなかの英雄なわけだが、これがどうしてハノーヴァー朝対ステュワート朝の対立のアレゴリーになるかというと、実は理屈は立つ。ハノーヴァー朝がドイツから迎えられたのは彼らがプロテスタントであったからだ。それに対しフランスやがてはイタリアに亡命したステュワート朝は亡命してからは一貫してカトリックである。どちらをユダヤ教に喩えるかは、どちらも理論的には可能なわけだが、ヘンデルの同時代にジョージ2世のもとで暮らす多くの人々にとってはプロテスタントであったわけだ。

18世紀にも宗教改革の余波は、とどろいていたのである。

 

| | コメント (0)

«マッダレーナ・デル・ゴッボのディナー・コンサート